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<位置>
ブルゴーニュ地方の北部、シャンパーニュ地方との境に近いヨンヌ県、オーセールの北東約20kmに位置する。

<概要>
ポンティニ修道院の設立は聖ベルナールのクレルヴォーに先立つもので、シトー母修道院から直接分かれた四父修道院の2番目の修道院であり、シトー会修道院全体の中でも特に重要な修道院である。
12世紀、13世紀に繁栄を極めるが、14世紀の百年戦争、16世紀の宗教戦争、18世紀のフランス革命などの中で修道院は破壊され没落する。しかし、教会堂は損害を受けることなく存続し、革命時にも教区教会堂となって生き続け、この間、建物を大きく変更するような改修、修復工事もなされず現在でも中世往時のままの姿を保持している。
教会堂身廊部は、フォントネの教会堂と同時代と考えて良い1130年代の終わりの頃から1150年のころとされる。
1185年ころから1206年ころにかけて建てられた会堂頭部は、周歩廊のついた放射状祭室を持つものであるが、小振りの角形の至聖所を壊して建てたもので、当初の平面形は「ベルナール式平面」であったことが知られている。
交差リブ・ヴォールトを備えたロマネスクからゴシックへの移行期のこの教会堂は、le bateau blanc(白い船)との異名を持ち、シトー会修道院建築の中でも最も重要な遺構の一つとなっている。